Interview

当事務所の代表弁護士である松本正文(まつもとまさふみ)弁護士、永野賢二(ながのけんじ)弁護士が弁護士ドットコムに、これまでの事務所設立の背景や実績、事務所・弁護士としての理念や強み、ご相談者様への想いなどについてインタビューを受けました。

1 「松本法律事務所」開設の経緯について

創業者 故松本成一先生が事務所を開設された背景

松本弁護士

松本弁護士

私の実父・故松本成一は、昭和8年(1933年)に、今の福岡県久留米市で生まれ、中央大学法学部卒業後、第10期司法修習生となり、東京で実務修習を送りました。

当初はそのまま東京で弁護士をしたいと考えていたようですが、その東京での司法修習中の恩師であった先生から、「地方都市にはまだまだ弁護士が少なく、『法の支配』が行き届いていない。君は、弁護士になるのなら、東京ではなく、郷里の福岡に帰りなさい。それでこそ、より社会的な意義があり、やり甲斐もあるはずだ。」とアドバイスされた。それで、福岡県弁護士会に弁護士登録することを決心したそうです(本当かどうか、今となっては確かめようもありませんが、生前、何度も聞かされた話です)。

福岡に戻った成一は、高名な故和智昂先生の事務所(和智法律事務所)で約2年間ほど勤務弁護士として修行し、1960年に独立して『松本法律事務所』を開設しました。

永野弁護士

永野弁護士

生まれ育った故郷で、司法サービスを広げていくことはとても意義があることですよね。
私の郷里である福岡県朝倉市も、その当時はまだ弁護士がいなかったことから、朝倉市で弁護士となることを強く思いながら弁護士を目指していました。

東京と地方では弁護士の数も違いますし、地方でも司法サービスを必要としている人はたくさんいます。司法サービスが充実していない地方に弁護士として貢献できることは、とてもやり甲斐がもてることだと思います。

松本弁護士

本題とは関係ないようですが、でもちょっとこの後のお話に関係してくるかもしれないのですが、その久留米が成家である、成一の実父(私の祖父)は、名を松本一成と申しまして、明治生まれの、鬼(?)検察官検事でした。

検事という職業柄、転勤が多かった。そのため、子ども時代の成一は、転校続きで、学校でせっかく友達ができてもすぐにお別れしないといけないというのが悲しかった、だからできれば自分は転勤せずに一所(ひとところ)で暮らせる弁護士を職業として選んだのかもしれない、とも話しておりました。

永野弁護士

たしかに検事になると、数年に一度は転勤がありますよね。子どもにとって転校はとても辛いでしょう。その想いを汲み取って弁護士になられたのは、とてもお子さん想いの方だったのですね。

先代が掲げられた「不羈独立」「質実剛健」の精神とは

松本弁護士

松本弁護士

『「不羈独立」「質実剛健」の精神』とは、どちらも、故成一が好んで口にしていた言葉で、もちろん色々な意味を込めていたのだろうと思いますが、
『常に弁護士としての矜持(誇り)を持って、ひとつひとつの仕事、おひとりおひとりの依頼者に対して、いつも誠心誠意に接して、何が最善かを考え、真剣に取り組む』、ということです。
形式張ったことを嫌い、いつも真摯に率直に実質的に、そして営利や贅沢や華美に走らない、ということでもありました。

世代的な感覚もありましょうが、父は、「弁護士を雇う」という言葉を極端に嫌っていましたね。
「我々弁護士は、依頼者に雇われているのではない。まさに依頼されて(委任を受けて)、弁護士としての自分の判断で、依頼者にとって最も良い方策は何かを常に考えて、仕事をするのだ。」といつも言っていました。

いわゆる『依頼人の言いなり』『指揮命令的な関係』にあってはならない、ということですね。時として依頼者の意に沿わないことや耳に痛いことであっても、弁護士として、それが依頼者のために最善と考えたら、言うべきことは言わなければならない。
『企業のコンプライアンス』などという言葉もまだなかった時代に、それが弁護士の重要な使命だと考えていたのだと思います。

永野弁護士

永野弁護士

弁護士と依頼者が互いに協力し、信頼し合って問題を解決することが大事ですよね。
依頼者自身がこれが正義だと思っていても、第三者的な視点からみるとそうでない場合は、できるだけ依頼者にご理解いただくように丁寧に説明しご納得いただく。それが、弁護士にとっても、依頼者自身にとっても明るい未来に繋がると思っています。

松本弁護士

上記の『「不羈独立」「質実剛健」の精神』について、さらに、『前例などに囚われない、これまでの先輩弁護士があまりやっていないような新しいことについても、積極的に試みる』、という意味もあったと思います。

もう大昔の話ではありますが、故成一が弁護士になった当時、弁護士というのは、もっぱら事務所の中で、言ってみればまあどっかりと座って執務していて、外出するのは裁判所に出頭するとき程度、それ以外はあまり外には出ない、というイメージがあったようです。

そうした時代に、成一は、自分自身が小型自家用車(愛車)のハンドルを握って、どこにでも自分で運転して出かけて行く、という仕事のスタイルを取りました。これが当時、大変に依頼者から有り難がられて重宝されたようで、まだ無名の駆け出しの若手弁護士が、まさに東奔西走の仕事ぶりとなったとか。
例えばあちこちの警察署での接見依頼案件なども、一時期はとても多かったようです。刑事でいえば後の『当番弁護士制度』、民事でいえば今の『出張法律相談』の、まあ走りといえば走り(笑)、だった訳ですね。

永野弁護士

問題解決のために弁護士自ら動くことによって、依頼者の安心材料にも繋がりますよね。依頼者からすると弁護士のイメージは、まだまだ敷居が高いイメージがありますので、そういった行動はとても大事なことだと思います。

どのようなお立場であれ、少しでも触れ合えた方とは、その後のお付き合いをずっと大切にしています。たとえ敵方・相手方であっても、個人的な恨みがあるわけでなし、いつも礼儀正しく接することはできるんですよね。

依頼者を含め関係者のみなさまと、フランクで親密なコミュニケーションの絆を結んで来られたことが、今日の当事務所のすべてにつながっていると思っています。

松本弁護士

「『弁護士』だからといって、決して威張ってはならない。誰に対しても、常に礼儀正しく。敬意を持って。」というのも、最晩年まで徹底していました。

このあたりは、私自身についても,もちろん永野賢二先生にも、当事務所出身のこれまでの歴代の弁護士や、今、当弁護士法人で執務しているそれぞれの弁護士、そして事務職員のみんな、(ちょっとくどくなりましたが)それらの本当にすべて全員について、ずっと受け継がれていることと思います。
これは、私自身の一番の誇りです。

永野弁護士

そうですね。礼儀や敬意を持つことはとても大事だと思います。
依頼者はたくさんの弁護士がいるなかで、法的サービスによる優劣を弁護士につけることは難しいです。その中で、依頼者に接する態度というのは、依頼者にとって事務所を選ぶ際の大きな指標になります。

それぞれの弁護士・事務職員、他の事務所の関係者、取引先、全ての人に礼儀正しく、親身な対応をすることが、依頼の増加、事務所の評価につながっていくと思いますので、これからもその姿勢を受け継いでいきたいですね。

2 松本先生が弁護士として大切にされていること・ご苦労されてきたことについて

松本弁護士

松本弁護士

事務所のHPにすでに詳しく記載しているとおりですが、
上記の故成一の姿勢と同じく、『いつでも、どなたに対しても、礼儀正しく、誠実であること。真摯に実直に、形式張らずに固苦しくなくフランクに、人と接すること。』です。

いろいろと難しいお仕事であればこそ、できるだけ、みんなで「楽しく」やりましょう、博多弁的に言えば「もちろん真面目な話やけれど、まあ固苦しくせんで、ざっくばらんに行かんですか。」という感じです。

「おもしろくなき世をおもしろく」というのは、高杉晋作の句だそうですが、そういう気持ちを大事にしたいですね。弁護士の仕事というのは、どのような分野でも,敵も味方も、要は人と接する仕事ですね。なかなか綺麗事だけではもちろん立ち行かないことも多々ありますが、それでもなお、というか、だからこそ、「お互いにできる限り楽しくやらんですか。」という気持ちです。

よって、『コロナ禍』以降、こういう、お互いの気持ちを率直に伝え合えるようなコミュニケーションが相当に制限されてしまったことは、とても残念でなりません。
本当に、早くまた「堅苦しい話はさっさと止めんですか。」というお付き合いができるようになってほしいですね。

永野弁護士

永野弁護士

相談者さまの緊張を和らげるよう、できるだけフランクに接することは大事ですよね。
法律論で必要なことを聞き出すだけでなく、どんななことに悩んでいるのか、怒っているのか、傷ついているのか、感情的なことも含め、できるだけ話を聞いて、相手のことを理解するのはとても重要なことだと思っています。
その結果、弁護士に対する敷居の高さや抵抗感を無くしていきたいですね。

『コロナ禍』において、今まで通り行ってきたコミュニケーションを制限されていることはどうしても避けられず残念なところですが、こんな状況だからこそ、できるだけ依頼者とこまめに連絡を取って信頼関係を築いていきたいですね。

3 「開業60年の経験と信頼」に繋がるエピソードや、構築されてきたネットワークの強みについて

松本弁護士

松本弁護士

単に『長く続いている』というだけでは、もちろん無意味です。 問題は、常に『仕事の質の高さ』をいつも保ち続けること、維持することです。当たり前ですよね。

これについては、故成一も、
「依頼者から感謝して貰えることこそが、我々弁護士の一番の報酬であり、有難く大切なことである。」と終生申しておりました。昭和一ケタ世代は、さすがに『顧客満足度(CS)』というような言葉は使いませんでしたが(笑)、要は同じことを言っていたのではないかと思います。

永野弁護士

永野弁護士

おっしゃる通り『仕事の質の高さ』はもちろんのこと、依頼者から感謝されることが弁護士にとって最も嬉しいことですよね。
『顧客満足度(CS)』は今や当たり前のワードになってきましたが、この60年を通じて一番大切にしていることは昔も今も、依頼者に感謝されるという点では、変わらないのだろうなと思ってます。

松本弁護士

故成一にまつわるエピソードといえば、
「前から撃たれるのはいい。後ろから撃たれるのは恥だ。」というのもありましたね。よく言っていました。これ、どういう意味か分かりますか? 何でも戦争になぞらえてしまうのが、あの世代の特徴で(苦笑)。

自分の依頼者(『後ろ』)を護るために、敵・相手方(『前』)を作って戦うのは、弁護士の本来の仕事だ。その『前』から攻撃されるのは当然だ。しかし、『後ろ』から撃たれる、つまりは自分の依頼者との信頼関係を損なって依頼者から責められる、というのは、弁護士の仕事のあり方として、あってはならない。まあそういう意味です。

もちろん今日、「依頼者」といっても色々難しい方もおられるので、すべて「恥だ。」などと言い切れるか、という点は、もちろん突っ込み処ではありますが、
要は『依頼人の信頼を何より大切せよ。』というのは、弁護士として常に変わらぬ原理だろうと思っています。

永野弁護士

すごく興味深い言葉ですね(笑)。仰るとおり、依頼者との信頼関係なしでは、問題解決に良い方向には進まないと思います。依頼者からの信頼を得るためには、まず弁護士が依頼者を信用しなければならない。私はそのように考えています。

ただし、嘘だらけの話をされてしまうと、お互いの信頼関係を築くことは困難なので、自分にとって不利だと思う内容も正直に話して、問題解決へお互いに歩みよることが大事ですね。

松本弁護士

そうした『依頼者からの信頼』は、先の『質実で率直な、できるだけ楽しいコミュニケーション』ということとも、もちろんつながりますね。それらが、仰るような、これまで『構築されてきたネットワークの強み』というものになって行く、そういうことなのではないかと思います。
(本当言って、私たちの日頃のお仕事にあっては、その都度その都度を一生懸命にやっているのはもちろんですが、毎度そんなご大層なことを眦決して考えながらやっている訳ではないので、念のため。大げさすぎて照れるじゃないですか。)

永野弁護士

コミュニケーションというのは『依頼者からの信頼』をいただくためにとても大事なことですね。依頼者の方に安心していただくためにも、弁護士は交渉力や説得力だけでなく、人柄という面も、やはり重要になってくると思います。

4 松本先生と永野先生との出会い、「松本・永野法律事務所」設立(2018年)背景について

松本弁護士

松本弁護士

私自身は、1992年に司法修習を終えて(修習期は44期)、松本法律事務所に最初は勤務弁護士として入所し、その後、徐々に故成一と役割交代して、私が事務所の経営を担うようになりました。

この間、まさに同業者であり実の父子関係ゆえの、信頼と葛藤と、実にいろいろありましたが、まあそこは今回の本題とは関係ないのでまたいずれ。
(具体的な仕事のやり方について、事務所経営について、等々、本当にまあよく大喧嘩もしましたが、毎度、その日の夜、(母親も挟んで)実家の居間で一緒に大酒を飲んでは仲直り、という繰り返しでしたね(笑)。まさに『父子相伝』での酒好きだったことが、ここでは幸いしました。)

ここは、少々強調したいのですが、弁護士会の仕事(会務活動)については、故成一も私も、世代こそ違え、それぞれに様々、経験して来ていたところでした。
そこで、次に記すような、新しい『法科大学院制度』のまっただ中に飛び込んでできるだけ多くの後進を育てる、という方針については、新しい時代にチャレンジしてみようではないか、と二人して意見が一致し、納得して選び取った途でした。

永野弁護士

永野弁護士

親子での事務所経営ならではのエピソードですね(笑)。喧嘩されたときは、お酒を酌み交わしてお互いに納得いくまで話し合うというのは、良い親子関係なんだろうなと勝手ながら想像してしまいます。

後進を育てることは、未来の法曹界にとって、とても大事なことですよね。過去や現状にとらわれずチャレンジしていくことは、いつの時代でも重要だと思います。

松本弁護士

松本弁護士

さて、2004年4月から、全国で新たに法科大学院制度がスタートしました。私は、福岡県弁護士会の推薦を頂いて、地元福岡市内の西南学院大学で、同大学の法科大学院の開設に関わり、その開校後は『実務家教員(教授)』として教壇に立ち、教授会のメンバーとして学校運営そのものに関わりました。

その、新たに誕生した西南学院大学法科大学院の第1期生として入学してきたひとりが、今のパートナー・永野賢二先生です。私たちの出会いは、ここから始まります。このときの、元はと言えば『師弟関係』つまり『裸の付き合い』に始まった信頼関係が、ずっと今日まで続いているわけです。

その永野先生(当時は「永野君」(笑))は、福岡県朝倉市の出身で、その当時はまだ弁護士がいなかった、郷里の朝倉市で弁護士となることを、法科大学院入学当初からの人生の目標としていました。

そもそも私が、法科大学院制度や法曹人口増員について支持した理由は、『弁護士過疎地域』の実情についての憤りからでした(具体的体験については省略しますが)。したがって、教員の私は、永野先生のそうした心意気に共鳴し、心から応援したいと思いました。そこで、彼が卒業して司法試験に合格し司法修習を終えた後、私は彼を、松本法律事務所の勤務弁護士として迎えました。永野先生の弁護士スタートは、松本法律事務所から始まったわけです。

数年後、永野先生は、まさに初志貫徹して、地元朝倉市で独立して『弁護士法人あさくら法律事務所』を開設しました。私としては本当に嬉しい独立開業で、心から祝福しました。

永野弁護士

永野弁護士

法科大学院での松本先生との出会いは、まさに運命でした。私の郷里である朝倉市で弁護士になって、地方に法的サービスを届けていきたい。という想いに共感していただき、応援いただいたことは今でも忘れません。

卒業後、ご縁もあって松本法律事務所に入所してから、全国規模の大手企業様(大手運送会社、ゼネコン、金融機関、総合病院等)の案件を数多く担当させていただいたことで、企業法務についての様々な経験や実績を積むことができました。

その後、私が開設した弁護士法人あさくら総合法律事務所では、お客様にとって一番身近な法律事務所を目指し、朝倉市や久留米市等の筑後地域を中心に活動を行ってきました。
これも松本先生との出会いがあったからこそ。本当に感謝しています。

松本弁護士

こう話してきますと、先にお話しした、故松本成一が郷里の福岡市に戻って弁護士を開業した、というのと、上記のような永野先生の独立開業パターンとは、何というか、弁護士開業のモチベーションなど、似ていますよね。性格は似ていませんが(笑)。

この時点で、私にとっては、永野先生は、少し歳の離れた弟のような存在になっていました。また、これは偶然ですが、永野先生が松本法律事務所で弁護士生活をスタートしたその同じ年に、まるでひとつの世代交代を見届けて入れ替わるかのように、すでに事実上一線を退いていた実父成一は、病気で静かにこの世を去りました。

その後、『弁護士法人あさくら法律事務所』は、業務を拡大して、久留米市内に新たに事務所を開設しました。お話ししたように、故成一やその父・故一成は、もともとは久留米の出身です。その意味でも、私たち『松本家の一族』(?)と、永野先生とは、ご縁があるなと思いました。

永野弁護士

郷里での独立開業は同じ道を歩んでいますね。
これまで弁護士として歩んでこられたお話を色々とお伺いしたかったのですが残念でなりません。

弁護士活動を通じて、多くの方とお付き合いする場が広がり、次第に朝倉市の事務所だけでは対応が難しくなり、久留米市に新しい拠点をつくりました。その場所が松本家にとってゆかりの地であることは、本当にご縁がありますね。

松本弁護士

松本弁護士

さて、私の話に戻るのですが、弁護士業と法科大学院の教授職との両立というのは、(もちろん得難い貴重な体験をたくさん頂戴しましたが)さすがに激務で、私は、2015年を最後に法科大学院の仕事から引退しました。

その疲れが出たのかどうか、翌2016年から2017年にかけて、私は、たて続けに大きな病気をして入院することになり、幸いどうやら治療が奏功して回復はしたものの、なかなか元のように仕事に復帰するのは難しい状態でした。この時点で松本法律事務所では、永野先生の後輩にあたる、西南学院大学法科大学院出身の若手弁護士が、多いときには4人も、勤務弁護士として働いてくれていました。

そうしたときに、事務所統合・新法人設立という方法で、いわば救いの手を差し伸べてくれたのが、永野先生だったのです。

永野弁護士

永野弁護士

偶然なのですが、今いる弁護士のうち9名が同じ法科大学院出身で、かつ福岡出身者ばかりです。よく知る間柄だからこそ、密なコミュニケーションが取れる関係性なんですよね。

事務所統合・新法人設立については、「地域のみなさまにとって最も身近で愛される法律事務所」を目指すにあたり、松本先生から今まで教わってきたこと。その想いを繋いでいきたい。と考えていました。
また、弁護士同士が力を合わせることによって、いっそう幅広く質の高いリーガル・サービスを提供していけるのではないかと、私たちの目指す方向に繋がると思いました。

松本弁護士

先に述べたとおり、永野先生と私とには、長年の強い信頼関係がありました。それを大切な土台として、ふたつの事務所が経営統合する、新たに船出する弁護士法人は、福岡市にも久留米市にも拠点を持ちつつ、これも先述のとおりの私たちに共通する理念である、『弁護士の少ない地域にも新しい法律事務所を開設する』(今の『大牟田事務所』がまさにそのひとつです)、といった、永野先生から示して頂いた夢や理想は、私には大変魅力的で、とても有り難く、感謝してこの提案を受け容れました。
後述するとおりの、私自身が長崎での修習生時代にお世話になった梅本義信先生の事務所との経営統合のお話もちょうど並列的に進みまして、ここに、2018年、永野先生や他のメンバーのみんなと一致協力して、新しい弁護士法人をスタートさせることとなったわけです。

永野弁護士

経営統合したことにより、弁護士同士でお互いの業務をチェックし合い、ノウハウ・経験・情報を共有することで、日々、サービスの質の向上を図っていますので、依頼者にも、きっと「相談してよかった」とご納得いただけると思います。

松本弁護士

以下は、余談というかおまけのようなお話ですが、弁護士事務所の、いわば企業としての経営の継続性というか維持については、せっかくこれまで築いてきた依頼者の方々との信頼関係や、もちろん事務職員等の雇用の確保・生活基盤の維持、といった面からしても、経営する側の責任として、大切です。

従前、このことは重要なはずなのに、あまりこの業界の俎上には上がらなかったというか、特に地方都市では、ついつい『世襲』いった昔ながらの方面に頼っていたように感じます(『世襲』とか『2代目・3代目』がいけないと言っているのではありませんので、どうか誤解のないようにお願いいたします。何より私自身がその『2代目・3代目』の典型ですので。)
その意味でも、今回の私共の弁護士法人の設立は、自分たちにとっても人様にとっても、意義深いものであると、これは自信を持って申し上げたいと思います。

永野弁護士

事務所の展望として、事務所で働く弁護士や従業員が長く勤めたいと思える事務所にしたいです。組織で一緒に仲間として、夢を語っていけるようにしたいですね。

そのために、代表だけですべて決めることはせず、支店長会議で事務所の収益状況を見ながら、給与や役員報酬、昇給などの待遇を話し合って決めています。複数の拠点を持っている事務所の場合、経営に参画しているという意識が一番大事だと思います。みんながちゃんとやりがいを持って、「自分の事務所」という感覚で仕事に取り組める環境にしたいです。

その結果、所属している弁護士や事務局のメンバーが動きやすい環境を考え、最終的には相談者や依頼者の方の満足感へつながるようにしていきたいと思っています。

5 「梅本総合法律事務所」との合併(2018年)について

松本弁護士

松本弁護士

私(司法修習44期)の実務修習地は、長崎でした。その頃は司法修習期間自体が、今の2倍の長さ、全部で丸々2年間あったので、私の長崎での実務修習期間は、1990年7月から翌91年10月までという長期間でした。その時期、当時は独身で長崎市内にアパートを借りてひとり暮らしの身軽な身分でしたから、もう昼も夜も(笑)、長崎県弁護士会弁護士の先生方や、広く長崎の実務法曹界の方々に、もう言葉にできないほど良くして頂き、本当にお世話になりました。30年経った今でも、当時お世話になった方々とは、年賀状その他のお付き合いが続いております(弁護士や事務職員の方々だけでなく、裁判所や検察庁の職員の方々などたくさんです)。

永野弁護士

永野弁護士

とても濃い司法修習期間を過ごされたのですね。その時のご縁は一生ものだと思います。
弁護士や事務局員だけでなく、他士業との方々との繋がりもとても大事ですね。

松本弁護士

そんな風で、私自身としては修習時代から、長崎県弁護士会の弁護士梅本義信先生とはご面識がありました。

さてこちらはたまたまなのですが、上記のような、永野先生のあさくら事務所と私の松本事務所との統合の話が持ち上がって来た同じ頃(2017年の後半ころ)、長崎の梅本先生が、そろそろ事務所の後継について考えておられるというお話が、私と永野先生とところに、いわば偶然に、舞い込んで来たのです。
さらにこれもまた偶然なのですが、その頃、司法修習を終えてあさくら事務所(今の久留米事務所)に入所して勤務していた、堀大助弁護士(修習期は70期。今の当弁護士法人の長崎事務所所長)は、小学校から高校までは長崎市内で、実務修習地も長崎で、と、実に長崎に深いご縁があったのです。

そこで、一同でいろいろと話し合った結果として、旧あさくら事務所と旧松本事務所との統合、大牟田事務所の新開設、そして旧梅本事務所とも同時に経営統合(長崎事務所の開設)、という全部を、一緒に同時に行って、まとめて『新弁護士法人の設立』ということにしよう、というお話になりました。それで現在に至る、です。

様々な偶然の出会いが重なって今日に至る、ところが、いかにも『袖振り合うも多生の縁』という感じで、とても面白いと思います。

永野弁護士

本当に偶然が偶然を呼ぶといいますか、奇跡の連続といった感じでしたね。これまでの60年で色々なことを経て、現在の松本・永野法律事務所があるのはとても感慨深く思います。

これからも一層のこと「地域の皆様にとって最も身近で愛される法律事務所」を目指して、弁護士・スタッフが一丸となり、地域の皆様により質の高いリーガルサービスを提供できるよう、今後も日々努力を続けていきたいですね。

6 「松本・永野法律事務所」の強みについて

松本弁護士

松本弁護士

みなで心がけているのは、いわば『温故知新』です。
これからもちろん、さらに時代が刻々激動していきます。弁護士を巡る環境も大きく変化していくでしょう。様々に時代が激動していく中で、『昔のまま』だけでよいはずはありません。

しかし、例えば先の『不羈独立・質実剛健』といった、私共弁護士としての根本的な信条や矜持は、忘れてはならない、ブレてはならないところだ、と思います。それは、当事務所が、依頼者からの信頼を頂く源泉として、いつの時代でも、変わらずにあり続けるべきだと思います。

その上で、中堅や若手が、それそれの地域の事務所で、どんどん新しい発想や仕事のやり方などを取り入れて、時代やニーズに合った仕事をして行ければと思っています。

永野弁護士

永野弁護士

『不羈独立・質実剛健』の信条は忘れずに、時代に合った変化をしていくことですよね。

私自身は、「奉仕型のリーダー」になることを目指しています。「上司は部下に権限を委譲して、仕事の進め方を任せる。権限を委譲する代わりに、将来のイメージを示して働きやすい環境を整え、部下に対して自発的な成長を導くためのアドバイスや、振り返りの機会を提供する」といった、組織のメンバーのパフォーマンスを高めるための、これまでになかったリーダー像です。

弁護士事務所も組織です。組織では、人が動かなければ何もできないし、仕事は成り立ちません。「奉仕型のリーダー」像を、所属している弁護士や事務局のメンバーが動きやすい環境を考えるときの指針にして、これからも進化していたいですね。

7 今後目指されていく事務所像について

松本弁護士

松本弁護士

これまでの歴史も大切にしつつ、いつも新しい時代に挑戦していく、言葉を換えれば、私のような(もうロートルですが)長年弁護士をやってきた者ゆえに持つ人のつながりとか経験とか助言などと、中堅・若手のパワーと、新時代に即した変化自在な柔軟な思考や仕事のやり方などとが、お互いに支え合って協力して、全方位的に人様のお役に立てるような、そのような弁護士業務を続けて行ければ理想的ではないかと思います。

また、『顧客満足度』を大切したいというお話は先にしましたが、『従業員満足度』つまり当弁護士法人内で働く勤務弁護士や事務職員ひとりひとりが、自分の仕事に対して満足し、待遇面においても、さらには人様のお役に立ったという達成感を持てるようにすることも、更にいよいよ重要になるだろうと思います。この点についても、旧来の弁護士事務所では、もちろん色々なケースがありますが、ややもすれば余り重視されずに来たところがあるのではないでしょうか。そうした「内部的な充足度」についても、いつも目配りをしながら事務所経営を行っていければと考えています。

永野弁護士

永野弁護士

昨今は目まぐるしく変化するビジネス環境を追うように法律が整備される時代へと変わってきています。そうした中で弁護士も、より先を見据えたうえでのリーガルサービスを提供するために成長していくことが大事だと考えています。

また、『従業員満足度』については、従業員が満足することで、その満足した従業員がさらに魅力的なサービスに努め、結果として顧客満足度の向上につながると考えています。
依頼者のために最善を尽くすには、各弁護士・スタッフが最大限に実力を発揮する必要があります。そのために、各弁護士・スタッフの自由が尊重された職場環境において、気持ち良く働くことが必要ですね。

8 来所される相談者の方へメッセージをお聞かせください

松本弁護士

松本弁護士

ご相談者様とできるだけフランクに喜怒哀楽の感情を共有し、良い方向にその問題を運んでいけないものかとみんなで一緒に知恵を絞ります。
こちらは法律論は知っていますが、現場の詳しい事情などはもちろん知りません。そこで、そうしたフランクでな親密なコミュニケーションをおこなうことで、問題の解決へ繋げていければと思います。
当事務所には経験豊富な弁護士が多数在籍しておりますので、それぞれの特徴を活かし、ご相談者様の為に様々なお悩みや法的トラブルを全面的にサポート致しますので、ぜひ一度ご相談いただければと思います。

永野弁護士

永野弁護士

弁護士や法律事務所という言葉から思い浮かべられるイメージは、「敷居が高い」、「弁護士に相談するなんて大変なこと」といった感じではないでしょうか。
このようなイメージから、相談が遅れてしまい、「もう少し早く来てくれれば……」と思った経験が何度もあります。

そんな方々を一人でも減らしたい、一日でも早く問題を解決して差し上げたい。
私は、友人や家族に相談するのと同じ感覚で、弁護士にも相談してほしいと考えております。

地域の皆様にとって最も身近で愛される法律事務所を目指して、今後も1つ1つの案件を誠心誠意サポートしていきたいと考えておりますので、お気軽にご相談いただければ幸いです。